ニナー賢治選手
下野新聞は、以下のように報じた。
日本トライアスロン連合は30日、都内で理事会を開き、今夏のパリ五輪男子代表に2021年東京五輪代表のニナー賢治(けんじ)(31)=宇都宮市、NTT東日本・NTT西日本=を選出した。
ニナーはオーストラリア出身。オーストラリア人の父と日本人の母を持ち、東京五輪前に日本国籍を取得した。同市のトライアスロンスクール「村上塾」の村上晃史(むらかみこうじ)代表(56)が専属コーチをしている縁で昨年4月、同市に拠点を移した。
初出場の東京五輪は個人14位、ミックスリレーで13位に入った。ニナーは「東京大会も良かったがまだ目標がある。パリではメダルを取りたい」と力強く決意を述べた。
【乾燥】 今月18日早朝、御幸のプールでニーナ選手の泳ぎを見る
今月18日早朝、御幸ヶ原スイミングスクールで朝6時半から7時半まで、村上塾コーチの水泳レッスンを受けた。レッスンを終えて、端のコースで、ニナー賢治選手がゆったりと黙々と泳いでいた。昨年の日本選手権、今年4月のアジア選手権で優勝し、今日、パリ五輪出場が決定したニナー選手である。
ニナー選手の泳ぎを見入りながら、ふと過去が蘇る。
金メダリスト萩野公介の賞状がずらり掲示
私が、村上塾、村上晃史氏と出会い、初めて御幸ヶ原スイミングスクールでレッスンを受けたのは、16年位前である。その頃、このプールわきの通路には、萩野公介選手の、小学校、中学校、高校時代の日本記録での優勝の賞状がずらり掲示。萩野選手は、ここで小学生から高校生(作新学院だが)まで、指導を受け練習し、成長したのである。
高校時代は、日本選手権では6種目参加で優勝、2012年高校2年時には、ロンドンオリンピックで400m個人メドレー銅メダル、16年リオデジャネイロパラリンピックでは、同種目で金メダル。
12年のロンドンでは、水の怪物、米国のマイケルフェレプス(04年6個、08年北京8個、12ロンドン年4個、16年リオ5個の金メダル取得者)を破っての銅メダル。
リオでの金メダル取得後、ひじのけがなどもあり、その後、休養期間などで成績が振るわず、小学校からのライバルの瀬戸大也選手に追い抜かれるようになり、若くして引退した。
萩野君は小学生時代から20歳くらいまでは、日本だけでなく世界のトップクラスの選手であり、人しれない努力と苦悩を味わってきたことと思う。引退後の、第二の人生もまた、有意義な人生を歩まれるよう願っています。
東京パラリンピック銅メダルの椿浩平君
椿君との出会いは、彼が高1か2年の時、村上塾のメンバーと毎週木曜日の夕方、我が家の近くの公園でランニングしているときからと思う。それが、同時に私が村上塾(村上晃史塾長)とのでありであり、トライアスロンをするきっかけでもある。
彼の高校時代は、御幸のプールで共に泳ぎ、古賀志山森林公園でバイクやランニングをともにした思い出がある。村上塾では、年に2回か3回位、朝6時から御幸で1時間水泳、その後古賀志山の急坂で6時間バイク、仕上げは森林公園赤川ダム周囲を3時間ランニング。
椿君は、もちろん私などとレベルは違うが、一所に泳ぎ走った。彼はいつも一所懸命。高2の頃は、全日本トライアスロン大会で7位、ユースのアジア大会では優勝、20才未満では圧倒的な強さで、数年後には、日本のトップとしてオリンピック出場可能性大の状態。高卒後、つくば大学進学、数年後脳腫瘍で手術、10カ月入院、放射線抗がん剤治療でオリンピック出場困難に。
若い時からひたすらオリンピック出場を目指して生きてきた彼にとっては、「オリンピック出場できなければ、自分の人生が全否定さる」そんな思いを抱きながら、21年の東京オリンピックでは、ガイドランナーとしてパラリンピック会出場し、見事銅メダルを取得している。
彼の真摯な態度、努力、闘病は、貴重な経験としてこれからの人生にプラスになると思います。
常に明るく元気なトライアスロン指導者 村上晃司さん(村上塾長)
村上塾、村上晃司さんとの出会いは、約15年位まで、我が家の近くの公園で犬の散歩時、こどもやおかあさん、お父さんらが毎週木曜日の夕方、1時間くらい、ランニングや体操をしているのに出会い。
終了後、輪になっての話し合いをきいていたら、トライアスロンの話が聞こえてきて、私もそこに参加させてもらったことから始まる。
その後、村上塾に入れさせてもらい、公園で走り方を教えて頂き、御幸のプールで泳ぎ方を、また、古賀志山や田園地帯などでバイク(自転車)の乗り方を、時には、2泊の合宿で、実技と理論を教えてもらった。ある程度は、走り泳げたが、早く長くとなると、そこには正しく効率的な姿勢、走り方、泳ぎ方があり、理論と実践(練習)が重要。
自転車は、トライアスロンの先輩であるIさんなどに、サイクリングをしながら、いろいろとコツを教えていただいた。
村上さんは、若き日は、自分でトライアスロンでのオリンピック出場を目指していたようですが、20代半ばか後半あたりから、コーチの道に傾いたようである。当時は、マラソン監督コーチで有名な小出義男さんらと共に、有森裕子のコーチをしたりしており、以後約30年にわたり、コーチ業にまい進している。
私が関わりだした頃は、前に記した椿浩平君や、同年だの菊池日出子さんを指導、二人は20歳前後で、日本のベスト10内で活躍し、オリンピックを目指していた。
村上塾の素晴らしいところは、小さい子からオリンピック並みの選手まで、また若い、あるいはそれなりの年齢の女性や働き盛りの男性から私のような定年後のおやじまで、楽しくまた、それなりに厳しく教えてくれるところである。
そして、最近、ニナー賢治さんのような日本1の選手と巡り合い、そして、今日、ニナー選手と共に、村上コーチのパリオリンピック出場が決定した。
おめでとうございます。