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ガラスの天井、何度も破った元常務 日韓結ぶ「第二の両親」との絆

ガラスの天井、何度も破った元常務 日韓結ぶ「第二の両親」との絆

 

新党「韓国の希望」の発起人大会であいさつする梁香子(ヤン・ヒャンジャ)議員。

 

 毎日新聞は、新党「韓国の希望」を立ち上げた、梁香子(ヤン・ヒャンジャ)議員の活動について取材し、以下のように報じた。

 

 韓国の半導体が政治のせいで危機に

 鮮やかなオレンジ色のスーツをまとった女性が政治変革の必要性を訴えた。「韓国の覇権を30年支えてきた半導体産業が、政治のせいで危機にひんしています」。ソウルの国会近くで6月26日に開かれた新党「韓国の希望」の発起人大会。ステージで力強い言葉を発したのは、半導体大手、サムスン電子の元常務で国会議員の梁香子(ヤン・ヒャンジャ)さん(56)。

 

 発起人には、サムスンの元上司や大学教授らが名を連ねた。保革が激しく対立する韓国政界において安全保障や北朝鮮問題でなく、半導体産業の振興や科学技術を活用した政権運営を看板ビジョンに掲げるのは前代未聞だ。ソウルで発行されている「女性新聞」は、この新党結成について「離合集散でなく、無から有を生み出す結党をした最初の現役女性議員」と報じた。与野党ともに幹部らの金銭汚職が絶えない中、新党は「ドン・キホーテ精神」で政界刷新に挑むという。

・サムソン電子元常務で国会議員の梁香子(ヤン・ヒャンジャ)さん

 

2016年政界入り、半導体産業育成の活動

 2016年、文在寅ムン・ジェイン)前大統領に請われて政界入りし、2度目の選挙で国会議員に初当選。以来、半導体産業育成のために走り続けてきた。今年3月には、半導体など国家戦略産業に大企業が設備投資した場合、税控除を現行の8%から15%に引き上げて企業の負担を軽減する、通称「Kチップス法」を主導し、超党派で成立させた。

「困難は、その次の困難への予防接種」

 サムスンでは「ガラスの天井」を何度も打ち破って常務まで昇進したが、エリート出身ではない。

 全羅南道(チョルラナムド)(韓国南部)の山あいで、5人きょうだいの3番目に生まれた。生活は苦しかったが、下に弟2人がいて、学費が足りないとは言えない。母には「私がなんとかするよ」と伝え、女子商業高校時代は週末に地元に戻り、家族に内緒で近くの鉱山で働いて賄った。夢だった大学進学を諦め、1985年にサムスンに入社した。

 当時は、サムスン創業者の李秉喆(イ・ビョンチョル)氏(故人)が、東京滞在中に半導体分野に本格参入する方針を示した83年の「東京宣言」から間もない時期だった。梁さんは、注目された半導体開発を行うソウル郊外の研究所で「補助員」として働いた。専用の机はなく、先輩が書いた設計図の清書やお茶くみが主な仕事。「自分の席で働きたい」。そう上司に訴えて、ようやく机が与えられた。いつしか正式の研究員になりたいという目標が芽生えていった。

 91年に社内大学である技術大(現・サムスン電子工科大)に願書を出した。「文科系の商業高校出身で工学の勉強ができるのか」「前例がなく、審査対象ではない」3年連続で不受理。その首席で社内大学を卒業後、正式な研究員となった梁さんは、半導体の小型化や設計の自動化などで次々と成果を上げた。

 入社から28年がたった13年末、女子商業高校卒で初めて常務に抜てきされた。梁さんは、高卒、女性、抜てき人事など、全て破格に該当する記録を作った。

・サムソン電子、半導体工場

梁さんを支えてくれた人物は日本にもいた

 サムスンでの異例の昇進は、梁さんの人生観を作った。「困難は、その次の困難に対する予防接種のようなもの。必ず克服できると信じて、いつも前向きに考えるようにしています」

 そんな信念を抱かせ、支えてくれた人物は、日本にもいた。サムスンとつながりがあった日本企業の幹部だ。高校時代から学んでいた日本語が道を切り開いた。

元NTT専務の浜田成高さん

 

高校時代から学んだ日本語がつなげた縁

 ソウル・オリンピック(1988年)の開幕が数週間後に迫り、韓国全体が高揚感に包まれていた。そんなある日、サムスン電子で働いていた梁香子(ヤン・ヒャンジャ)さんは、思いがけない重要任務を幹部から命じられた。「日本からVIPが来る。日本語

金浦空港にやってきた「VIP」は、当時、NTTグループの技術移転関連企業の専務だった浜田成高さん(98)と、妻の芳枝さん(96)。NTTの前身、日本電信電話公社の研究所で半導体を研究していた浜田さんは、サムスン電子への技術移転を担当した縁で、ソウル五輪の開会式に招かれたのだ。梁さんが、浜田夫妻を丁寧に案内した。

 それが縁で、梁さんが結婚し、子どもが生まれても浜田夫妻との交流は続いた。この35年間でやり取りした手紙は1000通以上に上る。子どもがいない浜田さん夫妻にとって、梁さんが娘代わり。浜田さんは言う。「縁を結ぶとかそんなことは考えなかったんですけど、ともかくやり取りが頻繁になってね。今では家族になっちゃった」

未来を担う若者世代のために

難しい問題に直面すると、浜田さんを訪ね、助言を求めてきた。半導体を巡る問題について「第二の父」は、日本社会の見方や今後の見通しを伝え、韓国は冷静に対応する必要があるとアドバイスした。そして、日韓摩擦のきっかけとなった元徴用工問題については、こうコメントしたという。「日韓の痛ましい過去「痛ましい過去の歴史は変えられません。未来のために、そして未来を担う若者世代のために、日韓が協力していくべきです。互いに『自国優先主義』になった時こそ、政治が解決していくことが重要なのです」

梁さん:与党の半導体産業競争力強化特別委員長に

21年に「共に民主党」を離れた梁さんは、今度は尹政権を支える保守系の与党「国民の力」の半導体産業競争力強化特別委員長として、半導体産業育成政策に関わった。国家戦略産業を育てるための税制を超党派でまとめ上げた政治的な基盤は、与野党それぞれの半導体関連委員会を運営することで築かれていった。

人類のために

半導体の開発をしていた時から、給料のために働くというより、人類のためという気持ちでやってきました。今も(自分が)韓国の財産になりたいと思って働いています。保守、進歩は関係ありません」

 次に目指すのは、両国の技術者交流を通じた人材育成だ。「素材については日本で、半導体製造については韓国で学べば、両国の発展の助けとなります」

乗り越えるべき壁があることは幸せなこと」

高校時代は学費が払えず鉱山で働いた。入社当初は自分の机がない境遇だったが、努力の末に研究者となった。逆境に直面しても「乗り越えるべき壁があることは幸せなこと」と受け止め、進んできた。そして日本との縁をきっかけに大きなチャンスをつかんだ。

自分ができたからこそ、意欲のある若者にチャンスを与えたいと考えている。

 

【視点】

 サムソン電子の元常務で、現在国会議員として活躍している梁香子さん。その生き方、働き方、そして、政治への関わり方には見習いたいものである。こういう人が、日本にもいるに違いない。そういう人、そういう会社、そういう政治家を軸にして、日韓がもっと協力的になれば、ともに平和でもっと豊かに国なると思う。