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小山で県メーデー中央大会 安心社会や能登半島地震被災地支援へ連帯確認

小山で県メーデー中央大会 安心社会や能登半島地震被災地支援へ連帯確認

「頑張ろう」を三唱する参加者=27日午前、小山市外城

下野新聞は以下のように報じた。

 連合栃木などが主催する第95回県メーデー中央大会が27日、小山市外城の小山総合公園で開かれた。県内の労働者ら約1700人が参加し、誰もが安心して暮らせる社会の実現や能登半島地震の被災地復興に向け連帯することを確認した。

 吉成剛連合栃木会長はあいさつで「賃上げは多くの中小企業では道半ば。全ての働く仲間とつながり、安心社会の構築に向けて果敢に挑戦しよう」と呼びかけた。

 議事ではメーデー宣言や能登半島地震復興支援カンパに関する特別決議を採択。参加者全員で「頑張ろう」を三唱して大会を締めくくった。抽選会や虐待防止のためのオレンジリボン募金活動なども行い、交流を深めた。

 大会には福田富一知事や藤岡隆雄衆院議員、真瀬宏子野木町長らも来賓として出席した。

メーデーの起源、赤旗より】

メーデーは、1886年5月1日、アメリカの労働組合が八時間労働制を要求してストライキ・デモ行進を行ったことが起源です。当時は12~14時間労働が当たり前でした。このため、アメリカの労働者は「第1の8時間は仕事のために、第2の8時間は休息のために、そして残りの8時間は、おれたちの好きなことのために」という「8時間労働の歌」を歌いながらたたかい、8時間労働制をかちとりました。

 しかし、運動の中心地だったシカゴでは5月4日、ヘイマーケット広場に集まったストライキ参加者を武装警官が襲い、多数の死傷者が出たのをきっかけに、資本家側は8時間労働の約束をほごにします。

 そこで、労働者側は、ふたたびゼネストでたたかうことを決め、世界に共同行動を呼びかけます。これにこたえて、労働組合社会主義運動の国際組織だった第2インターナショナルは89年7月の創立大会で、この日を「法律で8時間労働日を決めるよう要求する国際デモンストレーションの日とする」と決定。翌90年に各国で第1回メーデーが実施されます。

日本では、1920年5月2日(日曜日)、上野公園で5千人が参加したのが最初です。集会では「(ストライキ等を弾圧した)治安警察法17条撤廃、失業の防止、最低賃金制の確立」を決議。8時間労働制、東京市電争議支援、シベリア即時撤兵の動議を可決しています。